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ドジャース永久欠番は何番?歴代12人の一覧と選定理由を2026年最新解説

望月 花音 望月 花音 • 更新: • 公開: • 読了約 17 分
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大谷翔平や山本由伸の活躍で日本でも注目を集めるロサンゼルス・ドジャース。球団の歴史を振り返ると、背番号には単なる選手識別の役割を超えた、特別な意味が込められています。2026年10月現在、ドジャースの永久欠番は12人・12番号。ジャッキー・ロビンソンの42番から、フェルナンド・バレンズエラの34番まで、選手や監督、球団に大きな功績を残した人物が名を連ねています。

ただし、永久欠番に選ばれる条件は一律ではありません。野球殿堂入りが有力な基準となる一方、殿堂入りしていない人物にも特別な栄誉が与えられてきました。MLB公式サイトの球団別永久欠番一覧と公式ニュースを基に、12人の名前・背番号・制定年、42番が全球団共通となった理由、34番が永久欠番になった背景、球団の選定基準まで整理します。

【2026年最新】ドジャースの永久欠番は12人・12番号

ドジャース永久欠番

ドジャースの永久欠番を調べる際、まず押さえておきたいのが、ブルックリン時代からロサンゼルス移転後までの球団史を通じて選ばれた12人です。対象は現役時代の実績を残した選手だけではありません。監督やコーチとして球団を支えた人物も含まれています。

MLB公式サイトの「Retired Numbers」と、2025年12月13日付の公式ニュース「Dodgers' all-time retired numbers」では、永久欠番の対象として12人が紹介されています。2026年10月現在も、公式一覧に掲載されている番号はこの12種類です。

永久欠番の顔ぶれには、ジャッキー・ロビンソン、サンディー・コーファックス、ロイ・キャンパネラといった球史に名を残す選手に加え、トミー・ラソーダやウォルター・オルストンなど、チームを率いた指導者も並びます。ドジャースの歴史が、個人の記録だけではなく、優勝への貢献や球団への長年の奉仕によって築かれてきたことが分かります。

なお、永久欠番は単に「その番号を付けた選手が引退した」という意味ではありません。球団が特別な功績を公式に認め、後継選手に同じ番号を通常の背番号として与えないという顕彰制度です。

【完全一覧】歴代12人の背番号・名前・永久欠番制定年

以下がドジャースの永久欠番12番号の一覧です。制定日はドジャース公式の永久欠番資料に基づき、42番については球団独自の制定日とMLB全体での制定日を区別しました。

背番号 人物 主な役割 永久欠番制定日・年 主な功績・選定理由
1 ピー・ウィー・リース 遊撃手 1984年7月1日 長年の主力選手で、チームの主将としても活躍
2 トミー・ラソーダ 監督 1997年8月15日 監督としてワールドシリーズを2度制覇
4 デューク・スナイダー 中堅手 1980年7月6日 ブルックリン時代を代表する強打者
14 ギル・ホッジス 一塁手 2022年6月4日 ブルックリン時代の中心選手。2022年に野球殿堂入り
19 ジム・ギリアム 内野手・コーチ 1978年10月10日 14年間の選手生活と、コーチとしての球団への貢献
20 ドン・サットン 投手 1998年8月14日 球団史に残る勝利数・奪三振数を記録した先発投手
24 ウォルター・オルストン 監督 1977年6月5日 23年間にわたり監督を務め、複数の世界一に導いた
32 サンディー・コーファックス 投手 1972年6月4日 サイ・ヤング賞3度、1960年代を代表する左腕
34 フェルナンド・バレンズエラ 投手 2023年8月11日 1981年の新人王・サイ・ヤング賞受賞、「フェルナンドマニア」の中心人物
39 ロイ・キャンパネラ 捕手 1972年6月4日 ナ・リーグMVPを3度受賞した名捕手
42 ジャッキー・ロビンソン 内野手 1972年6月4日(ドジャース) 人種の壁を破り、MLBの歴史を変えた選手
53 ドン・ドライスデール 投手 1984年7月1日 通算209勝、1962年のサイ・ヤング賞受賞

表で注目したいのは、永久欠番の制定年が1972年から2023年まで幅広く分布している点です。1972年にはコーファックス、キャンパネラ、ロビンソンの3人が同じ日に顕彰されました。一方、最も新しい34番は2023年に制定されています。

また、12人のうち、選手としての功績が評価された人物だけでなく、ラソーダやオルストンのような監督、ギリアムのように選手引退後もコーチとして球団を支えた人物が含まれます。永久欠番は個人成績だけで機械的に決まるものではないのです。

【背番号42】ジャッキー・ロビンソンはなぜMLB全球団共通なのか

ドジャースの永久欠番の中でも、42番は特別な存在です。ジャッキー・ロビンソンは1947年、ブルックリン・ドジャースでプレーし、近代MLBにおける人種の壁を破った選手として知られています。その意義は球団の枠を超え、米国プロスポーツの歴史に刻まれました。

ロビンソンは1947年に新人王、1949年にはナ・リーグMVPを受賞。ドジャースのリーグ優勝にも貢献し、1955年には球団がブルックリン時代に達成したワールドシリーズ初制覇のメンバーとなりました。野球の実績に加え、黒人選手のメジャーリーグ参入という歴史的な転換点を象徴する人物です。

ドジャースは1972年6月4日、ロイ・キャンパネラの39番、サンディー・コーファックスの32番とともに、ロビンソンの42番を永久欠番にしました。その後、MLBはロビンソンのメジャーデビュー50周年に当たる1997年4月15日、42番を全30球団共通の永久欠番としました。

つまり、42番には二つの節目があります。1972年はドジャースによる顕彰、1997年はMLB全体による顕彰です。球団の永久欠番一覧ではドジャースの42番として掲載されますが、その意味は他の11番号とは異なり、野球界全体の歴史を背負っています。

なお、42番は通常の背番号として各球団で使用できませんが、毎年4月15日の「ジャッキー・ロビンソン・デー」には、選手や監督、コーチらが敬意を示すために42番を着用します。これは永久欠番の取り消しではなく、ロビンソンの功績を称える特別な慣例です。

また、全球団共通の永久欠番となる以前から42番を着用していた選手には例外措置が設けられました。ニューヨーク・ヤンキースのマリアノ・リベラはその例外で、2013年の引退まで42番を着用した最後の現役選手となりました。

【背番号34】フェルナンド・バレンズエラが永久欠番になった理由

2023年に制定された34番は、ドジャースの永久欠番制度を理解するうえで重要な例です。メキシコ出身の左腕フェルナンド・バレンズエラは1980年から1990年までドジャースでプレーし、1981年に新人王とサイ・ヤング賞を同時に受賞しました。MLB史上初となる快挙です。

当時のバレンズエラの登場は、米国南カリフォルニアやメキシコを中心に「フェルナンドマニア」と呼ばれる熱狂を生みました。1981年にはチームのワールドシリーズ制覇にも貢献。投手としての成績だけでなく、ラテン系ファンを含む幅広い層を球場へ引きつけた存在でした。

それほどの功績がありながら、34番が正式な永久欠番になるまでには時間がかかりました。従来のドジャースでは、背番号を永久欠番にする際、対象選手が野球殿堂入りしていることを原則としていました。バレンズエラはこの条件を満たしていなかったため、引退後も正式な永久欠番にはなっていませんでした。

ただし、球団はバレンズエラの退団後、34番をほかの選手に与えず、長年にわたり敬意を示していました。2023年2月、球団は方針を見直し、同年夏に34番を永久欠番にすることを発表。8月11日、ドジャースタジアムで正式な顕彰が行われました。

この決定が示したのは、殿堂入りという条件だけでは測れない貢献があるということです。バレンズエラはドジャースの歴史に残るスターであり、地域社会やファン文化にも大きな影響を与えました。球団が従来の運用を例外的に変更してまで34番を顕彰した背景には、そうした幅広い功績があります。

なお、2023年8月の永久欠番制定と、2024年10月に報じられたバレンズエラの死去は別の出来事です。永久欠番の決定は生前に発表・実施されており、死去を受けて初めて制定されたものではありません。

【選定基準】永久欠番は殿堂入りだけで決まるのか

ドジャースの永久欠番をめぐって誤解されやすいのが、「野球殿堂入りすれば自動的に永久欠番になる」という考え方です。MLB公式の球団別資料は、ドジャースには背番号の永久欠番に関する明文化された選定基準がないと説明しています。

実際には、永久欠番となった人物の多くが、現役生活の大半をドジャースで送り、米国野球殿堂入りを果たしています。長年の在籍、球団記録、優勝への貢献、個人タイトルなどは、功績を判断する際の重要な要素です。ただし、それらを満たせば必ず選ばれるという公式の点数基準があるわけではありません。

制度の特徴を理解するうえで、特に重要なのがジム・ギリアムとフェルナンド・バレンズエラです。

ギリアムは1953年から1966年まで14年間、ブルックリンとロサンゼルスのドジャースでプレーしました。選手引退後はコーチとしてチームを支えましたが、1978年のワールドシリーズ開幕直前に49歳で亡くなりました。球団は同年10月10日に19番を永久欠番とし、その功績を顕彰しました。ギリアムは、野球殿堂入りを前提とする一般的な傾向に当てはまらない例です。

一方、バレンズエラは選手としての実績に加え、球団や地域のファンに与えた影響が重視されました。2023年の決定は、従来の運用を見直し、球団史における特別な存在を認めたものです。

この二つの例から読み取れるのは、永久欠番が成績だけの表彰ではないという点です。選手としての功績、チームへの貢献、球団の歴史との結び付き、ファンや地域社会に残した影響などを踏まえ、個別に判断されてきたと考えられます。

【歴代の象徴】背番号1・2・4・14・19・20・24・32・39・53が語る球団史

永久欠番の意味をさらに深く理解するには、人物ごとの功績を比較するのが有効です。12人の歴史をたどると、ブルックリン時代の黄金期、ロサンゼルス移転後の優勝、投手陣の記録、監督やコーチの長期的な貢献という複数の流れが見えてきます。

背番号1のピー・ウィー・リースは、ブルックリンとロサンゼルスの両時代にまたがってプレーした遊撃手です。1940年代から1950年代にかけてチームを支え、主将としても知られました。1984年に永久欠番となったことは、数字だけでは表せないリーダーシップも球団史に残ることを示しています。

背番号2のトミー・ラソーダは、1976年に監督へ就任し、1981年と1988年にワールドシリーズを制しました。監督としての通算勝利数は1,599。1997年に背番号が永久欠番となり、同年には野球殿堂入りも果たしています。背番号4のデューク・スナイダーも、ブルックリン時代を代表する強打者として1980年に顕彰されました。

背番号14のギル・ホッジスは、ブルックリン時代の主力一塁手です。1955年のワールドシリーズ第7戦では、ヤンキース戦でチームの2得点を記録しました。長く野球殿堂入りを逃していましたが、2022年に殿堂入りが決まり、同年6月4日に14番も永久欠番となりました。

背番号20のドン・サットンは、球団で233勝を挙げ、奪三振2,696を記録した右腕です。いずれもドジャースの球団史に残る数字で、1998年に永久欠番となりました。背番号53のドン・ドライスデールも、1962年のサイ・ヤング賞受賞や通算209勝などで知られ、1984年に顕彰されています。

背番号24のウォルター・オルストンは、1954年から1976年まで監督を務めた人物です。23年間で2,040勝を挙げ、ブルックリン時代とロサンゼルス時代を通じて複数のワールドシリーズ制覇に導きました。1977年に永久欠番となったことは、球団における監督の功績がいかに大きいかを物語っています。

背番号32のサンディー・コーファックスは、12年間のドジャース在籍で165勝を挙げ、サイ・ヤング賞を3度受賞しました。1963年と1965年にはワールドシリーズMVPにも選ばれています。背番号39のロイ・キャンパネラは、ナ・リーグMVPを3度受賞した捕手です。二人はジャッキー・ロビンソンと同じ1972年6月4日に永久欠番となりました。

こうした顔ぶれを比較すると、永久欠番には複数の評価軸があることが分かります。打撃や投球の突出した実績だけでなく、長期にわたるチームへの貢献、監督としての優勝実績、選手引退後の役割、ファン文化への影響まで含めて、ドジャースの歴史が形作られてきたのです。

【ドジャース永久欠番】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:ドジャースの永久欠番は全部で何人ですか?
A1:2026年10月現在、公式一覧に掲載されている永久欠番は12人・12番号です。背番号1、2、4、14、19、20、24、32、34、39、42、53が該当します。

Q2:ドジャースの永久欠番42番とMLB全球団共通の42番は何が違うのですか?
A2:ドジャースは1972年6月4日にジャッキー・ロビンソンの42番を永久欠番にしました。その後、MLBは1997年4月15日に全球団共通の永久欠番としました。前者はドジャースの顕彰、後者はロビンソンの歴史的功績を野球界全体で称える措置です。

Q3:フェルナンド・バレンズエラの34番はなぜ2023年まで永久欠番にならなかったのですか?
A3:ドジャースには、野球殿堂入りを永久欠番の原則的な条件とする運用がありました。バレンズエラは殿堂入りしていませんでしたが、1981年の新人王・サイ・ヤング賞同時受賞や「フェルナンドマニア」を巻き起こした影響を評価され、球団が従来の運用を例外的に見直して2023年8月11日に34番を永久欠番としました。

2026年10月現在、ドジャースの永久欠番は12人・12番号です。歴代一覧を確認する際は、ピー・ウィー・リースの1番、トミー・ラソーダの2番、サンディー・コーファックスの32番、フェルナンド・バレンズエラの34番、ジャッキー・ロビンソンの42番など、番号と人物をセットで覚えると整理しやすくなります。

特に注意したいのは、ドジャース独自の永久欠番とMLB全球団共通の永久欠番を混同しないことです。42番は1972年にドジャースで永久欠番となり、1997年にはMLB全体に広がりました。また、バレンズエラの34番は2023年に制定され、殿堂入りだけでは測れない功績を球団が認めた事例です。

永久欠番の選定基準は明文化されておらず、野球殿堂入りや個人成績だけで機械的に決まるものではありません。選手としての実績、優勝への貢献、監督・コーチとしての役割、球団とファンに残した影響を併せて見ることが、歴代12人の意味を理解する近道です。

今後、新たな永久欠番が発表された場合は、ドジャース公式の永久欠番一覧やMLB公式発表を基準に、対象者・番号・制定日を確認することが大切です。背番号の変遷を追うことは、ドジャースがどのような人物を球団の歴史に残そうとしているのかを知ることにもつながります。

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