「竹島はどこの領土なのか」という疑問は、日本海に浮かぶ小さな島々を巡り、長年にわたり外交上の大きな論点となってきた国際的な問題です。日本政府は島根県に編入された1905年以来、歴史的にも国際法上も「日本固有の領土」であるとの立場を堅持しています。一方で、韓国側も独自の歴史的解釈や実効支配の経緯を根拠に領有権を主張しており、両国の主張の隔たりは未だに解消されていません。
本記事では、竹島の位置や地理的背景をはじめ、日本側の法的・歴史的根拠、韓国側による不法占拠の経緯、さらにはサンフランシスコ平和条約や国際司法裁判所への付託提案に至るまでの最新の動向を客観的な事実に基づいて分かりやすく紐解いていきます。
竹島の位置と地理的背景:日本海に浮かぶ絶海の孤島

竹島は、日本海の中央部に位置する火山性の島々であり、東島と西島の2つの主要な島と多数の小島によって構成されています。総面積は約0.2平方キロメートルと非常に小さく、古くから漁業の好漁場として知られてきました。行政区画としては日本側が島根県隠岐郡隠岐の島町に属しており、韓国側は慶尚北道郁陵郡郁陵읍(ウル릉ウプ)に属していると主張しています。
地理的な位置関係を見ると、島根県隠岐諸島から北西に約157キロメートル離れているのに対し、韓国の鬱陵島からは東南東に約217キロメートル離れています。物理的な距離においても日本本土からのアクセスが相対的に近い位置にありますが、その孤立した環境ゆえに古くから両国の漁民が往来する舞台となってきました。
歴史的文献に見る竹島:日本による古くからの領有と利用
日本における竹島の利用と領有の歴史は古く、江戸時代初期の17世紀初頭には、米子藩主の命を受けた大谷家や村川家が幕府から渡海免許を受け、竹島(当時は松島と呼ばれていた)での渡海・漁労を行っていました。当時の日本人は、アバロン(アワビ)採取やアシカ(当時はトドやアシカの類)捕獲の拠点として島を利用しており、日本政府はこれが国際法上の「無主地の先占(先占の法理)」の要件を満たす確実な証拠であるとしています。
また、17世紀半ばの幕府作成の絵図や文献においても、隠岐と竹島の位置関係が明確に描かれており、江戸時代を通じて日本が竹島に対する領有意思と実効支配を持っていたことが裏付けられています。これらの古文書や地図は、外務省の公式見解や歴史研究において重要な基礎資料として位置づけられています。
| 時期・時代 | 歴史的出来事・公的記録 | 日本の主張における意義 |
|---|---|---|
| 17世紀初頭(江戸時代初期) | 幕府から米子藩の商人(大谷家・村川家)へ渡海免許が交付される | 日本人が古くから竹島を認識し、生業の場として実効支配していた証拠 |
| 1905年(明治38年)1月 | 閣議決定により竹島を島根県に編入し、同年2月に告示 | 国際法上適法な手段による領有の意思表示と国家主権の確立 |
| 1952年(昭和27年)1月 | 韓国大統領令により「李承晩ライン」が一方的に宣言される | 国際法に反する海洋主権の拡張および竹島の不法占拠の契機となる |
| 1954年(昭和29年)以降 | 日本政府が国際司法裁判所(ICJ)への付託を繰り返し提案 | 平和的な国際法的手続きによる解決を求める姿勢の提示(韓国側は拒否) |
1905年の島根県編入と近代国際法における正当性
近代における主権の明確化として極めて重要な転換点が、1905年の島根県編入です。1905年1月28日の閣議決定により、竹島を我が国の領土に編入することが決定され、同年2月22日に島根県告示第40号をもってこれが公示されました。これは、他国による領有の形跡がないこと(無主地)を確認した上で、国際法に則って正式に国家の管轄下に置いた合法的な措置であると日本政府は説明しています。
当時、日本政府は竹島に他国の主権が及んでいないことを慎重に調査した上で編入手続きを行っており、国際法上必要な「先占」の要件を完全に満たしているとされています。この1905年の編入は、現代の領有権を巡る議論においても日本側の主たる論拠の一つとなっています。
韓国による不法占拠の経緯:「李承晩ライン」と実効支配の始まり
現在に至る占拠の直接的な契機となったのは、第二次世界大戦直後の1952年1月に韓国の李承晩大統領が一方的に宣言した「海洋周辺主権に関する大統領宣言(いわゆる李承晩ライン)」です。このラインは国際法を無視して公海上に一方的に引かれたものであり、その内側に竹島が囲い込まれる形で韓国による実効支配が開始されました。
韓国側は、李承晩ラインの設定以降、警察官を常駐させたり灯台を建設したりするなど、実効支配を既成事実化するための措置を段階的に進めました。日本政府はこれに対し、一貫して不法占拠であるとして抗議を続けていますが、現地における実効支配の構図は今日まで固定化されたままとなっています。
サンフランシスコ平和条約と「日本が放棄した領土」の解釈
領有権問題を語る上で避けて通れないのが、1951年に署名された「サンフランシスコ平和条約」です。同条約の第2条(a)において、日本は「朝鮮の独立を承認し、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と規定されています。
日本政府の立場では、この条約で日本が放棄した「朝鮮の島々」の中に竹島は含まれておらず、竹島は一貫して日本の領土として残存していたと解釈しています。これに対し、韓国側は竹島も放棄対象に含まれていた、あるいは条約締結以前から韓国の領土であったと主張しており、条約の解釈を巡って日韓の間で長年にわたり激しい論争が交わされています。
国際司法裁判所(ICJ)への付託提案と外交的動向
領有権を巡る対立を平和的に解決するため、日本政府は1954年以降、何度も国際司法裁判所(ICJ)へ事件を付託し、国際法に基づく司法判断を仰ぐことを韓国側に提案してきました。しかし、韓国側は竹島は国際紛争の対象ではないとして、ICJへの付託提案を一貫して拒否し続けています。
外務省の公式見解においても、国際法に則った客観的な解決の場として司法手続きの利用が最適であると主張されていますが、当事国双方の合意が必要であるため、実現には至っていません。外交ルートを通じた協議や抗議は現在も継続されており、国際社会に向けた日本の立場のアピールが行われています。
【竹島はどこの領土】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:竹島は日本と韓国のどちらの領土なのですか?
A1:日本政府は歴史的・国際法的に「日本固有の領土」であると主張しています。一方、韓国政府も独自の歴史的経緯や実効支配を根拠に自国領であると主張しており、両国の主張は平行線をたどっています。
Q2:韓国が竹島を占拠するようになったのはいつからですか?
A2:第二次世界大戦後の1952年に韓国の李承晩大統領が一方的に「李承晩ライン」を宣言して以降、韓国側による実効支配が本格化し、現在まで警察官の常駐や各種施設の建設が行われています。
Q3:なぜ日本は国際裁判でこの問題を解決しないのですか?
A3:日本政府は国際司法裁判所(ICJ)へ事件を付託することを複数回にわたり韓国側に提案していますが、韓国側がこれを拒否しているため、司法判断による解決には至っていません。
竹島を巡る領有権の問題は、歴史的文献の解釈、1905年の島根県編入という近代法的手続き、そしてサンフランシスコ平和条約の解釈など、多角的な要素が絡み合う複雑な課題です。日本政府は一貫して客観的な国際法と歴史的事実に基づいた正当性を訴えており、外交的な対話と情報発信を続けています。
感情的な対立に流されることなく、双方の主張の背景にある歴史的経緯や国際法上の根拠を正確に把握することが、この問題の本質を理解するための最も確実な道と言えます。